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2022年 9月 25日 好きな言葉、モットーについて

 東進生の皆さんこんにちは、東進担任助手4年の釜田と申します。やっと残暑も終わり、受験生の皆さんにとっては勉強に集中しやすい季節であろうと思います。今月の僕の担当にあてがわれたお題が「好きな言葉、モットーについて」というもので、特に胸に掲げている金言の類もないので随分苦慮しましたが、高校生の時に部分的に読んで感銘を受けた本に絡めてお話したいと思います。
 さて、皆さんは“Noblesse oblige“という言葉をご存知でしょうか?フランス語で「高貴さは義務を課す」、「高貴なるものは義務を負う」という意味の言葉です。ノブレス・オブリージュと読みます。今日の日本社会ではさまざまな教育機関や企業が校訓・社訓として掲げているようですが、組織によってその解釈は一様ではないように思われます。富める者が多くの義務を負うであるとか、エリートこそ社会に貢献しなければならない、であるなど。しかし、元々はこの言葉は欧米における身分制度意識が強く現れた言葉です。前近代の社会において政治や軍事は貴族階級が職掌として担ってきました。したがって、高貴なるものは義務を負うというよりも、高貴でなければ義務などありようもない、ということだったのです。では、血統や門地による身分制度がほぼ完全に撤廃された20世紀以降の社会において、この言葉はいかなる意味を持ちうるのでしょうか?
 20世紀スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットはこの問題についてその裏側から掘り下げているように思われます。彼は1930年に出版された著書『大衆の反逆』において、20世紀以降の社会になんでもない人=「大衆」が増長し、また社会において支配的な地位を占めるようになったと考え、現代社会を分析しました。確かに、19世紀までの社会において政治や社会の主役は、良かれ悪しかれ貴族や国王など非常に少数の人々であり、群衆はいわば舞台の「背景」にいたのでした。しかし、第二次産業革命に伴う科学技術の向上や人口の増加、経済の発展や生活水準の向上、自由主義の興隆による参政権の広がりによって、20世紀以降、それまでの歴史においては全く主役ではなかったなんでもない、何の地位も能力も持たない一方で、人数はとにかく多い「マス」である人々がその多数性によって世論を通じて政治を動かしていくことになるのです。一般的な見方をすれば、これらの歴史的な流れを平等の実現として評価することもできるでしょうが、オルテガはこの新しい社会の主体である「大衆」に対して非常に厳しい分析を加えています。
 重要なのは、ここで「大衆」とされているものは、別に身分や職業で決まっているわけではないのです。どれだけ注目を集める職業でも大衆になってしまう可能性は十分にあります。なぜならば、オルテガの言う大衆とは、社会階層ではなく一つの心理状態であるからです。オルテガによれば、「自分は『すべての人』と同じである」と感じ、そのことに喜びを覚えるような心理だとされています。つまり自分が普通の人間であり、みんなと同じ流行のものを買って、みんなと同じ音楽を聴き、みんなと同じであることを求める心理ですね。もうこの時点で読者の皆さんにも自分自身に思い当たる節がいくつもあると思いますし、私自身もそういう節があります。そして、さらにオルテガによると「大衆」は自分自身に対してなんら特別な義務を課しません。彼の言葉をそのまま引用すれば、「大衆」とは「生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々」であるということです。そのような人々は無制限にすべての権利を要求する一方で一切の義務を受け付けようとしないので、モラルなき社会が生まれていると彼は結論に書いています。結構ひどいというか、ずいぶんボロクソに言うなあという感じです。
 しかし、オルテガの生きた世紀末から20世紀前半にかけてのスペインは米西戦争に負けて植民地を失い、王政が崩壊して共和政になったかと思いきやファシズムが台頭するなど、大変な政治的混乱の最中にありました。このような大混乱の背景にこの「大衆」の心理があるとすれば、彼がこれだけの辛口になるのも無理はないでしょう。
 我々は誰しもこのような「大衆」的な愚かさを持っているのですが、救いもあります。それは「大衆」というのは先ほども申し上げた通り、決してその人の身分や地位、職業、あるいは学歴などでは決まらないということです。オルテガは「大衆」に対置される「少数者」を「自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々」と定義しています。自分が向上するために何ができるか、周囲に貢献するために何ができるかを考え、行動する限りにおいて、我々は誰であっても「大衆」に埋没せずに生きられるということでしょう。
 これを読んでいる方は高校生の生徒が多いと思いますが、これから年齢・学年が上がるにつれ、「あなたは何を貢献できるのか?」と問われる機会が増えてゆきます。大学生は人生の夏休みなどという言葉もありますが、大学生ですらアルバイトやインターン、サークルにおいて一定の貢献義務を負う機会があります。社会に出れば尚更でしょう。冒頭で紹介したように“Noblesse oblige“という言葉がこれだけ校訓や社訓として流行しているのは、社会がオルテガのいう「少数者」のような意識を持った人間を求めているということの表れでもあると思います。今のうちから自分は社会においてどのような義務が果たせるか、ということを考えるのはとても良いことだと思いますし、勉強に取り組む際にも、多くの義務や困難を求めて進んでゆけば、必ず選択肢の広がりや良い結果につながります。これから皆さんが「大衆」ではなく「少数者」として活躍することを期待しています。
 
 
参考文献
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』神吉敬三訳, ちくま学芸文庫, 1995